2018年1月3日水曜日

ノムさん、伊藤智仁氏に25年ごしの謝罪「俺が邪魔したみたいだ。申し訳ない」

入団1年目のヤクルト・伊藤智仁投手(1993年6月撮影)

入団1年目のヤクルト・伊藤智仁投手(1993年6月撮影)【拡大】

 サンケイスポーツ専属評論家の野村克也氏(82)が、3日放送のTBS系「消えた天才 ~一流アスリートが勝てなかった人大追跡SP~」(後6・0)で、来季ルートインBCリーグの富山GRNサンダーバーズの監督に就任することが決まっている伊藤智仁氏(47)と対談。25年間抱え続けた後悔と謝罪を述べた。

 伊藤氏は1992年、ドラフト1位でヤクルトに入団。プロ野球史上、最大の天才といわれ1年目から活躍したが、デビューからわずか2カ月半で右肘の靭帯を損傷し姿を消した。それまで7勝(2敗)を挙げ、セ・リーグ記録の1試合16奪三振も達成したが、投球数は1733球に及び、現在の先発投手の平均1200球を大きく上回っていた。当時は野村氏による酷使の影響との批判の声も挙がった。

 再会の舞台はヤクルトの2軍が使用している埼玉・戸田球場。ベンチで待つ野村氏を見つけた伊藤氏は、「言うといてくれや」と驚きを隠せず。緊張した面持ちで野村氏の元へ向かった。

 再会後、互いにあいさつを交わしたものの、2人きりでの会話は初めてということもあり、しばらく沈黙が続いた。野村氏が発した「感謝」の一言が、雰囲気を和ませた。「伊藤さんのおかげで、優勝監督にもなれた。日本一も味わわせてもらった。伊藤様さまだよ」と言われ、伊藤氏の顔には笑みが浮かんだ。

 野村氏はさらに、「結果的には(ドラフト会議で)松井秀喜を獲らずに、伊藤で大正解だよ」と強調。伊藤氏は「僕、ヤクルトのスカウトと会ったことなかったんで、(ドラフト)当日指名されてビックリしました」明かし、野村氏は「なかったんか? 全く? それは失礼しました」と笑顔で頭を下げた。

 そして、野村氏がルーキー当時の伊藤を酷使したことに触れた、「責任は俺かな、とすごく思っていた。使いすぎたかな…」と後悔の言葉を並べ、「すごい申し訳ない。それだけは謝りたい」と謝罪。「間違いなく、俺以外の監督の下なら、記録は絶対に残しているよ。俺が邪魔したみたいだ。申し訳ない」と自身の采配が原因で伊藤氏の選手生命に直結したことを後悔した。

 野村氏の謝罪にしばらく言葉が出ない伊藤氏。スタッフが「いかがですか」と話を向けると、「僕が(けがをしたのは)自分の責任だと思ってますし。そういう風に、特に思ってほしくない」ときっぱり。「僕はあそこ(の場面)で代えられたら嫌だった。マウンドを降りるほうが嫌だった。ピッチャーは先発したら完投するのが当たり前の時代だったんで、何球投げようが関係ないですよね。その試合は先発として最後まで投げるのが使命だと思うんですよね」と自身の野球に対する思いを述べ、野村氏の顔を見ながら「何とも思ってませんから、監督」と言い切った。野村氏はこの言葉に「ありがたい」とほっとした表情を浮かべた。

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