2018年4月24日火曜日

「鉄人」衣笠祥雄氏が死去 広島の黄金期支える

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オールスター戦で本塁打を放ち、長嶋茂雄コーチ(巨人監督)から拍手を贈られる衣笠祥雄選手=1975年7月19日、甲子園球場オールスター戦で本塁打を放ち、長嶋茂雄コーチ(巨人監督)から拍手を贈られる衣笠祥雄選手=1975年7月19日、甲子園球場
「浩二がまだがんばるというのならオレも負けないぜ」と笑顔を見せた広島・衣笠祥雄選手=1985年10月

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 プロ野球広島で中軸打者として活躍し、プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄氏が死去したことが24日、関係者の話で分かった。71歳。京都府出身。

中日戦で世界新記録の2131試合連続出場を果たし、記念の数字の入った花輪を手にファンの祝福に応える広島・衣笠祥雄選手=1987年6月13日、広島市民球場

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中日戦で世界新記録の2131試合連続出場を果たし、記念の数字の入った花輪を手にファンの祝福に応える広島・衣笠祥雄選手=1987年6月13日、広島市民球場フルスクリーンで見る閉じる

 京都・平安高(現龍谷大平安高)で1964年、捕手として甲子園大会に春夏連続出場。65年に広島に入団し、内野手に転向。75年は山本浩二氏とともに中軸を担ってセ・リーグ初優勝に貢献し「赤ヘル旋風」を巻き起こした。76年に盗塁王。84年に打点王で最優秀選手に選出され、日本一にも輝くなど広島の黄金期を支えた。プロ6年目の70年10月から連続試合出場を続け、87年6月にルー・ゲーリッグによる当時の米大リーグ記録2130試合を更新。同年に引退するまで、死球による骨折も乗り越えて2215試合連続出場。87年に王貞治氏に次いでプロ野球2人目の国民栄誉賞。96年に野球殿堂入りした。背番号「3」は広島の永久欠番。通算成績は2677試合で2543安打、504本塁打、1448打点、打率2割7分。引退後は解説者として球界に携わった。

「野球を志してよかった」

 “赤ヘル軍団”の象徴として時代を彩った。1975年のオールスター第1戦で同僚の山本浩二氏とともに2本塁打を放った。長期低迷していた広島を引っ張り、この年、初のリーグ制覇。「赤ヘル旋風」を巻き起こした。79年には日本シリーズを初制覇。翌80年も日本一に輝き、黄金期を支えた。

大洋戦で現役最後となる通算504号本塁打を放つ広島・衣笠祥雄選手=1987年10月22日、横浜スタジアム

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大洋戦で現役最後となる通算504号本塁打を放つ広島・衣笠祥雄選手=1987年10月22日、横浜スタジアムフルスクリーンで見る閉じる

 転機はプロ3年目の67年。後に広島や西武などで監督を務めることになる根本陸夫氏が1軍コーチに就任したことだった。2軍暮らしが続き、私生活も乱れていた時期に合宿所で毎晩のように説教され、長打やフルスイングという原点を見いだした。翌年から主力へと成長した。引退まで2215試合連続出場を続け「鉄人」と呼ばれたのは強い気持ちがあったからこそだ。
 96年には当時史上2人目だった40代での野球殿堂入りを果たした。プロ入り当初は1000試合出場が夢だった。記者会見で「野球を志してよかった。まさかこういう日を迎えるとは」と誇らしそうだった。

巨人戦で1247試合連続出場の日本新記録を達成し王貞治選手から花束を受け取る広島・衣笠祥雄選手=1980年8月

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2131試合連続試合出場を達成し、中日・星野仙一監督(左)から花束を贈られる広島・衣笠祥雄選手=1987年6月

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日本シリーズ第7戦 広島-阪急 日本一を決め、ベンチを飛び出す広島ナイン。マウンド付近では衣笠祥雄内野手(右)らが抱き合った=1984年10月22日、広島市民球場

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日本シリーズ第7戦 広島-阪急 日本一を決め、ベンチを飛び出す広島ナイン。マウンド付近では衣笠祥雄内野手(右)らが抱き合った=1984年10月22日、広島市民球場フルスクリーンで見る閉じる
ヤクルト戦で5度目のセ・リーグ優勝を決め、胴上げで宙に舞う広島・衣笠祥雄 =1986年10月12日、神宮球場

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5度目のリーグ優勝に、喜びの鏡割りを行う阿南準郎監督(左) 山本浩二選手(右から2人目) 衣笠祥雄選手(右)ら=1986年10月12日

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5度目のリーグ優勝に、喜びの鏡割りを行う阿南準郎監督(左) 山本浩二選手(右から2人目) 衣笠祥雄選手(右)ら=1986年10月12日フルスクリーンで見る閉じる
2000本安打を達成し、記念のボードを掲げる衣笠幸雄選手=1983年8月、広島市民球場

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中日戦で世界新記録の2131試合連続出場を果たし、ファンの祝福に応える広島・衣笠祥雄内野手 =1987年6月13日、広島市民球場

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インタビューに答える野球解説者の衣笠祥雄さん=2014年3月1日、東京都港区(撮影・中鉢久美子)

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